春日井サボテンのルーツ
伊藤安季子さん(伊藤サボテン園)
りんご農家だった龍次さんが魅了されたサボテン
春日井サボテンのルーツを探ると、伊藤サボテン園にたどりつきます。りんご農家だった安季子さんの義父・伊藤龍次さんがサボテン栽培を始めたのは、昭和28年(1953年)頃のこと。県内の友人からサボテンを分けてもらったことをきっかけに、趣味でサボテン栽培をするようになりました。
その翌年、長野県の交換会で赤いサボテン「緋牡丹(ひぼたん)」を初めて見た龍次さんは、その美しさに魅了されます。当時、「緋牡丹」は栽培が難しくとても高価でしたが、龍次さんはりんご栽培の接ぎ木技術を応用し、種子が安く育てやすいサボテンを「緋牡丹」の台木にする栽培方法を確立しました。
昭和20年代後半には、実生栽培の技術を確立
伊藤サボテン園がもう一つ取り組んだのは、サボテンを種から育てる実生栽培です。栽培を始めた当初は海外から輸入した種をまいても、なかなか芽は出ませんでした。細菌のせいかもしれないと、種やまき床の砂を消毒しても発芽率は変わりません。
あるとき、こぼれ落ちた種が自然と発芽しているのを見つけ、消毒をやめ、根気強く種をまき続けました。すると、発芽率は徐々に上がっていったのです。「同じ業者から種を輸入し続けたことで信頼を得て、質のよい種を送ってもらえるようになったのだと思います」と、安季子さん。種を親木から自家採種することもできるようになり、実生栽培は軌道に乗り始めました。
実生栽培のノウハウを地域に残していきたい
伊勢湾台風後は桃山地区の果樹農家の多くがサボテン栽培に参入しました。そして、伊藤サボテン園のような第1次生産農家が種をまき、第2次生産農家に育苗を委託する分業体制が確立され、生産量は増えていきました。
龍次さんの後を継いだのは長男夫婦の直毅さんと安季子さん。実生栽培を続けてきましたが、直毅さんに病が見つかり、技術を絶やすわけにはいかないと、仲間の生産農家に実生栽培を引き継いでもらうことになりました。直毅さん亡き後、伊藤サボテン園は廃業しましたが、実生栽培のノウハウは今も近隣農家に受け継がれています。