春日井サボテンの立役者
田中博育さん(かね万園芸)
果樹栽培からサボテンの第3次生産へ切り替え
父の代から続く果樹園を営んでいた田中博育さん。伊勢湾台風で果樹園が甚大な被害を受けたことから、家業をサボテン栽培へと切り替え、同じ時期にサボテン栽培をはじめた近隣農家と共に組合をつくったり、役所に掛け合ったりしながらサボテンの生産体制を整えていきました。
春日井サボテンの生産は、種をまく第1次生産農家と育苗をする第2次生産農家による親子制度が主でしたが、博育さんは苗を自ら仕入れて育て、卸売までする第3次生産農家のかたちをとり、北海道から九州まで日本全国、そして海外へと取引を広げていきました。
生産拡大の最盛期を走り抜ける
出荷量がピークだったのは、昭和30年代から40年代前半だといいます。当時の様子を聞くと、「国鉄の貨物列車の最終受け付けに間に合うように慌てて荷造りをして、日本各地に毎日サボテンを送っていた」、「朝暗いうちから、長崎や静岡から業者が買い付けにやってくるので、汗だくになりながらトラックいっぱいにサボテンを積んだ」といった、活気のあるエピソードがたくさん。
国内需要だけでなく輸出も盛んで、40フィートの大きなコンテナに、何十万本ものサボテンをつめて、オランダなどへ出荷していたそうです。
これからも、サボテンとともに暮らす
春日井市がサボテンプロジェクトを立ち上げたときには食用サボテンの栽培にも着手。食用サボテンは丈夫で育てやすいものの、観賞用サボテンよりもトゲが太くて刺さると痛く、また虫がついて枯れてしまうなど、困難も多くありました。
かね万園芸は平成30年(2018年)まで事業をしていましたが、現在は博育さんが趣味の範囲でのんびりと手入れをしています。今でもサボテンについて聞きたいと博育さんを頼って訪れる業者もいるとか。博育さんをはじめとした春日井サボテン生産組合の皆さんが育てたサボテンは、JR春日井駅前や市役所などで見ることができます。